2020年7月31日金曜日

サイコパス 怪事件

サイコパスによる怪事件も起こっています。ここで紹介するのは9歳の養子を置いて、カナダに逃げた夫婦の育児放棄の事件。

2013年のこと。米国インディアナ州在住の夫婦が、9歳の少女をアパートに1人置きカナダに逃げたというもの。

育児放棄容疑でこの夫婦は起訴されましたが、少女がサイコパスであったと母親が告白し全米を驚かせました。

2010年クリスティン・バーネットさん(当時45歳)と、元の夫のマイケルさんは養子を引き取ります。ウクライナからやって来た少女で、当時6歳だったナタリア・グレース。身長は90㎝ほどしかなく、歩行に問題を抱える小人症の少女でした。








しかし、一緒に暮らし始めると、辻褄が合わないことが多く起きました。本来、幼いはずのナタリアでしたが、すでに生理が来ていました。さらに検査で、大人の歯の入れ替わりも確認。

クリスティンさんが病院に連れて行ったところ、医師の判断は成人のみ診断される、重度の精神疾患。ナタリアは走っている車から飛び降りたり、血を手で鏡に塗りつけたりしたことも。

クリスティンさんはTVのインタビューで、ナタリアから脅迫されていたと告白しています。
ナタリアは家族を殺して、毛布にくるみ裏庭に捨てると宣言2012年には、電気柵に向かってクリスティンさんを、引き込もうとしています。

サイコパス怖いですね。










2020年7月27日月曜日

熊取 怪事件

熊取怪事件といえば、熊取町7人連続怪死事件が有名。狭い町のなか、7人の若者が事故死あるいは自殺で亡くなった事件です。

警察では、仲間が死んだことで孤独感が虚脱につながり、連鎖的に自殺したのではないかと指摘。

そうであっても不審な点が多い事件の一つ。誰にも死ななければならない理由がなく、遺書らしきものもありません。

その多くが白い車や黒い車につけられていたという話をしています。ここで思い出したいのが、もう一つの熊取の怪事件です。







脱原発を訴える「熊取6人衆」と呼ばれる、異端の研究者たちに起こった事件。

熊取町にあるのは京都大学原子炉実験所。ここは福島第一原発の事故以来、一躍脚光を浴びた組織。その組織に努める研究者たちには、さまざまな不可解なことが起こっています。

もともと戦時中の京都帝国大学は、日本での原爆研究を支えた組織でした。戦後はその流れを引継ぎ、原子力産業の基礎を作っています。

そんな中、原発の危険性を訴える研究者たちが「熊取6人衆」。講演にいっても、電力会社の社員が尾行して来たり、同じ電車に乗ってくることもあったといいます。

妙な連中に監視されたりしたということ、そんなことと若者の事件との関係も取りざたされています。

気のせいなら良いですね。







2020年7月24日金曜日

怪事件 昭和

怪事件昭和になってからすぐに起こっています。それが静岡県の浜松市で起きた、「運動会の大福中毒」です。

初報となったのは、1936年5月12日付の東京朝日新聞。旧制浜松一中で300名が中毒、4、50名の重態者となっています。

ただ静岡県警察史には、わずかに6行で1400人が中毒症状、38人死亡がとあるだけ。空前の出来事ですが、人々の記憶にも余り残っていない事件です。

内容はというと、1894年開校の浜松一中の運動会のあと、配られた餡(あん)餅を食べ大規模な食中毒が起こったもの。

地元では、市民は混乱と恐怖のパニックともなっています。







当日は運動会があり、この最大のリクリエーションを生徒も教師も楽しんでいました。天気は晴朗で、青空には一片の雲もなくかったと校友会誌にあります。

盛り上がる運動会のハイライトは「三方原合戦」。剣道着を着た生徒たちが2組に分かれて戦う野仕合です。

運動会も終わり、解散前に生徒たちは恒例となっている、6個入り1袋の「餡(あん)餅」を受けとりました。その後、続々と中毒患者の報告が病院から入ります。

陸軍の防疫研究室から細菌学の専門家チームも駆けつけ、原因究明が続けられました。それによると、死者は46人となっています。

これほどの大事件なのにあまり記憶にないのは、すぐ後に起こった「阿部定事件」が、かき消したのかも知れませんね。








2020年7月21日火曜日

江戸 怪事件

江戸にも怪事件がいくつもありました。ここではそうした怪事件を紹介しましょう。ペリーが黒船でやってくる前の年、1852年(嘉永4年)の春のこと。

江戸でいう牛込から四谷にかけてのお寺で、不審な火事が相次いで起こるという事件がありました。

しばらく経った同じ年のに、またも四谷の「宗福寺」というお寺での不審火。この時は、お寺の小僧が不審人物を捕らえます。

その正体はというと、なんと武士。しかも、江戸の治安を守っている同心というからみんな驚愕します。

男の名は「小櫛金之助」。もちろんすぐに奉行所での取調べを受けることに。その供述から、火事に対する異常性が浮かび上がります。







1852年(嘉永4年)の春のこと。四谷での大火事で、火事現場近くの親戚の家に駆けつけたのが発端小櫛は火事現場で湧き上がる高揚感や満足感から、火事にゾッコンになります。

火事が起きるとすぐに現場に駆けつけ、誰よりも熱心に働いたと言います。ほんのちょっとした「ボヤ」が起きるだけで「火事だ、火事だ」と大騒ぎ。ついたあだ名が「ぼや金」です。

ただ火事が多い江戸とはいえ、そうは都合よく起きません。「ぼや金」はしばらく火事がない日が続くと、我慢ができず自ら放火をしたのでした。

小櫛金之助」が放火したのはお寺ばかり5件。しかも昼間の犯行です。理由は夜が怖いということで、昼間に人影の少ないお寺がうってつけだったとか。

獄門が決まりましたが、処刑の前に獄死した伝わっています。

なんか昔も今も変わらいような、江戸怪事件ですね。






2020年7月18日土曜日

怪事件 マンホール

怪事件マンホールに関するミステリーなものが、「多摩保母殺人マンホール死体事件」です。

1997年の1月14日のこと。東京都多摩市で起きたマンホールの底に腐乱死体があったという事件です。多摩市役所にマンホールから汚水があふれているという連絡があったのが午前8時を過ぎたころ。

市役所から連絡を受けた下水道工事業者は、午前10時半ころ現場に到着。汚水用マンホールの蓋を作業員が開けると、凄まじい異臭が立ち上ってきます。
のぞき込むと、汚水に浸かっているのはマネキンのようなもの。すぐに業者は警察に連絡。

警視庁多摩中央署から捜査員が駆けつけます。深さ3mのマンホールの底にあったのは、年齢が20歳から40歳代の女性の遺体でした。







腐乱は激しく、頭と鼻などが骨折していました。歯の治療痕から、付近住んでいた八木橋富貴子さん(当時39歳)と判明。彼女は前の年の2月から行方不明になっていました。

青森県出身という八木橋さんは、短大の保育科を卒業したあと上京し保母として働いています。当時は都内北区の保育園に勤務していましたが、無遅刻無欠勤だったといいます。

前年の1996年2月28日に無断欠勤がありました。連絡も取れず青森から父親が上京し、警察に捜索願を出しています。

新聞の集金人が前日午後9時に八木橋さんと会っています。彼女はその後で出かけたと見られています。

マンションの部屋には争った跡もなく、預金通帳は持ち去られていましたが使われた形跡はありません。マンホールとマンションとの距離は200mほど。呼び出して殺害した後、マンホールに素早く入れるという極めて計画的な犯行です。

今に至るも犯人は見つかっていません。

ただ1990年と1991年のの日記帳が持ち去られています。そこには犯人の名前が書いているのかも知れません。





2020年7月14日火曜日

大奥 怪事件

大奥での怪事件も数多くの話が伝えられています。多いときには数千人という女性がいた大奥ですので、さまざまな事件がありました。そんな中からいくつか紹介します。

文政のころのこと、大奥でも下級の女中を指す御末のなかに「あらし」という名前の女性がいました。)5月15日の朝、「あらし」の姿が見えません。

周りはさして気にもとめませんでしたが、時間が経っても姿が見えないところから相部屋の御末が探し始めます。さらに時間が過ぎ夜半になりました。その頃には総出で捜すほどの大騒動になっています。

3日ほど経った5月18日の夜。
御天守台の下にいた警固番の耳に、「あらしはここに」という声が聞こえます。

そしていきなり落ちてきたのが「あらし」の無残な遺体でした。

10人ほどの番人が血だらけの「あらし」を目撃しましたが、女中が立ち入ってはいけない御天守台に上がったため、罰があたったと噂されるようになります。








続いては男子禁制の大奥で起こった、トイレの中に「赤ん坊」が産み落とされるという事件。

文政5年11月14日のこと。トイレ掃除を担当する人足がいつものように作業したところ、赤ん坊を見つけます。驚いた人足が報告し、かなりの騒動になります。

産んだ母親を探すことがはじまりますが、さっぱり見つかりません。しかし、ある下女が白状しすることで発覚します。

産んだのは前日で、驚くことに産んでからもそ知らぬ顔で過ごしていたといます。
この下女が妊娠したのは、大奥へと用いられる前のことでした。妊娠に気づかないまま時が過ぎ、処理に困った挙句の行動でした。

この下女はもちろんすぐに暇を出されました。大奥には色々な怪事件があるものですね。






2020年7月11日土曜日

熊取町 怪事件

熊取町怪事件として知られているのが、「熊取町7人連続怪死事件」です。

大阪府にある熊取町で、1992年に若者7人が相次いで死亡する事件が発生しました。

亡くなったのは町内在住となっていた17歳から22歳の年頃の若者ばかり。
7人のうち5人は自殺とされましたが、誰ひとり遺書は残していなかったといいます。

自殺とするには、不審な点が数多く残されていた点も指摘されています。

4月29日が始まりでした。板金工だったのAさん(当時17歳)が地元にあるため池に落ちて死亡しました。警察の捜査の結果Aさんがシンナーを使っていたことが確認されています。

それから1か月ほど経った5月29日、Aさんの友人であるBさん(当時17歳)がシンナー吸引が原因とみられる心不全で死亡。







6月4日になるとCさん(当時17歳)が、首を吊り死亡しているのが自宅近くにある小屋で発見されます。CさんはAさんとBさんの中学の先輩でした。

6月10日には土木作業員Dさん(当時18歳)が、前住居の家の納屋で首を吊って自殺しているのが発見されます。

6月17日になると、当時18歳の旅館従業員Eさんが、農作業小屋で首を吊り死亡しているのが見つかります。

さらに6月25日には岸和田市職員Fさん(当時22歳)が、首吊り自殺を熊取町にある森でしています。

最後になるのが7月2日、熊取町にある女子大に通うのGさん(当時19歳)が、大学付近の道路で自ら胸をナイフで刺して死亡するという怪事件が続きました。

これらは偶然なのか、何かが関係しているのか一概に片づけられない怪事件です。




2020年7月10日金曜日

国鉄 怪事件

日本国有鉄道ができた当初に起こった事件が、国鉄の怪事件です。通称で国鉄3大ミステリー事件と呼ばれています。

順を追ってたどると、最初に起こったがは下山事件。1949年の7月5日に、日本国有鉄道の初代総裁である下山定則が出勤の途中に失踪しました。

翌日の未明に遺体となって発見された事件です。
これは後に作家の松本清張が、日本の黒い霧シリーズで追求しています。

それによるとこの怪死には、連合国軍総司令部(GHQ)が関与しており、謀略だったと言うことです。1960年に「下山国鉄総裁謀殺論」として発表されました。

当時の日本は連合国軍の占領下にあり、日本人には真相を知る術もありませんでした。








次に起こった事件が10日後、1949年7月15日に起きた三鷹事件。これは当時の北多摩郡三鷹町(現在は三鷹市)と武蔵野市にまたがっていた、日本国有鉄道の中央本線の三鷹駅構内で起こった無人列車暴走事件です。

こちらは国鉄労働組合員の11人が起訴され、1名に死刑判決が確定しています。

三番目が松川事件です。こちらは1949年の8月17日に起きた意図的な鉄道のレール外しによる列車往来妨害事件

国鉄東北本線の松川駅と金谷川駅間で起きました。この事件では国鉄の労働組合員10名と東芝松川工場の労働組合員10名の計20人が起訴されました。

しかし裁判ではアリバイが成立し、全員の無罪判決が確定しています。

いずれの事件も、GHQが事件を起こしたという陰謀論が存在しています。




2020年7月9日木曜日

怪事件 トイレ

怪事件トイレに関係するものをいくつか紹介しましょう。
最初は「秋田公衆便所便槽内覗き目的侵入事件」です。

1999年の6月13日のことでした。秋田市にある下浜海水浴場駐車場付属の公衆便所で、市内の自動車代行の運転手である小助川正行が便槽内侵入で捕まった事件です。

トイレを使用した女性の物音がするという通報で、駆けつけた警察官に逮捕されました。

この男は釣り用の長靴を履き、ペンチなどでいったん便器を取り外してから便槽内に侵入していたそうです。

本人は暗くてよく見えなかったと言い、さらに臭くて死ぬかと思ったと完全なくたびれもうけだったようです。








同じような事件に「新潟公園公衆便所便槽内怪死事件」があります。
2010年の5月19日午前11時過ぎのことでした。

上越市にある上稲田公園でくみ取り式トイレの便槽内遺体があるのを、市内の清掃業者が発見。警察に通報した事件です。

遺体には目立った外傷などはなく、遺体内の食道や胃からふん尿が見つかり、生きた状態で便槽にいた形跡がありました。

自ら便槽に入った可能性が強く、死因はふん尿を吸い込んだための水死か、酸欠によるものとされました。

遺体は市内在住の無職男性(当時42)と判明。4日午前に一緒だった友人と別れてから行方不明となっていて、翌日に家族から捜索願いが出ていたそうです。

それにしても「どうしてこんなことをするのか」、さっぱりわかりません。




2020年7月8日水曜日

怪事件 エレベーター

エレベーターに関する怪事件と聞いて有名なものに「エリサ・ラム事件」があります。

カリフォルニア州のロサンゼルス市警が2013年6月に事故死と発表したものの、
いまでも怪事件として注目を集め続けている事件です。

その理由がエリサ・ラムさんが亡くなったという時刻の直前に乗った、エレベーターでの監視カメラの映像がYouTubeに出たことでした。

概要はというと、その当時カナダの大学に通うエリサ・ラムさんが、アメリカ旅行の最中に行方不明になったのが始まり。

アメリカ旅行を充分楽しんでいたエリサさんですが、両親には毎日必ず連絡をしていました。
が、事件当日は連絡がなく、心配した両親はエリサさんが泊まっていた「セシルホテル」がある、「ロサンゼルス市警」へと通報しました。

その通報を受けたロス市警は、ホテルの中を可能な限り捜索。それでもエリサさんは見つからず、失踪事件として捜査されることになりました。






そののち、ホテルの宿泊客から水や水道に関係するクレームが入るようになります。
クレームを受けホテルの保守担当者が貯水槽の点検をしたところ、
中にエリサ・ラムさんの遺体が浮かんでいるのを発見。

すでに遺体は腐敗が始まり、水の色や味の変化は、彼女の遺体が原因なのは明白でした。

このことで失踪事件として捜査されていた事件も、殺人を視野に入れたものに切り替わります。

ロス市警はセシルホテルで最後に撮影されたエリサ・ラムさんの、エレベーターでの監視カメラ映像の公開に踏み切りました。

この映像が世間の注目を集めたのです。

そこには何度もエレベーターを出入りするエリサさんの姿や、外の廊下にいる人に話しかけたり、エレベーターの中に身を隠したりする姿が映っていました。

結局エリサ・ラムさんの遺体には、目立った外傷はなく事故死ということになりました。
不慮の事故となった死因は、双極性障害と抑鬱症の精神疾患を抱えるエリサ・ラムさん自身ということになったのです。

ただ貯水槽に行くための扉や階段は施錠されていたなど、釈然としない面がのこる事件の一つです。



2020年7月6日月曜日

江戸時代 怪事件

江戸時代の怪事件として有名なものに、歌舞伎にもなった「天一坊事件」があります。
暴れん坊将軍として知られる8代将軍徳川吉宗に隠し子が発覚というものです。

最初に問い合わせが幕府の役人にあったのは、南品川宿のお寺でのこと。
ここに浪人が数多く集まり物騒な雰囲気を出しています。
しかも将軍になる以前の、紀州藩主時代の吉宗さまのご落胤を名乗っています。

結局吉宗本人の耳にも入り、身に覚えもあることから慎重な調査が行われることに。

紀州の武家の子であることは確かだったようですが、分かったのは亡き天一坊の母が繰り返し言っていた「貴方は高貴な血を引いている、吉の字を大切に」ということ。
このことで天一坊は本当の父親を吉宗と思い込むことになっていったそう。

ただ紀州での調査の結果、ご落胤というのは真っ赤な嘘とされました。

浪人を多く集めるのは大罪ですので、天一坊は処刑ということになりました。
ひょっとしたらが今でも残る事件です。







続いては江戸を席巻した怪事件、「小便組」という詐欺です。

江戸時代に於いて(めかけ)は現代の愛人と同様の職業であり、大名や大店の主には妾(めかけ)がいることは珍しくありません。

そこに目を付けたのが「小便組」というグループ。

先ず、妾(めかけ)を希望する金持ちに美女を紹介します。話がまとまれば前金として大金を支払わせ契約完了です。
男に貢がせるだけ貢がせた妾(めかけ)となった美女は、頃合いを見計らい別れを切り出させます。

そのやり方がすごくて、一緒に寝ている時に毎晩のように起こる寝小便。もちろんわざとですが、女は病気と泣きながら謝ります。

結局、暇を出すことになりますが、原因が病気では返金の請求もできず泣き寝入りです。
大金をせしめた女は次なる獲物を探すという怪事件。
あちこちでお金持ちが寝小便被害にあったと伝わっています。




2020年7月2日木曜日

過去から現在までの怪事件

過去から現在までの怪事件について投稿していきます。
よろしくお願いします。